心霊写真や心霊動画、そして心霊体験を真剣な顔で話す出演者。
そういう心霊的なトピック、実はほとんどが嘘。
だから数と割合の差で、そういうものは全部嘘と言いきってよい。
そう考えて大丈夫だろうか?というハナシだ。
実話という触れ込みで多くの雑誌やテレビ、あるいはラジオなどで語られているものは誰もが実話、本物と思いがちだが、中には素人が見ても
「これおかしいよね?」
というものも確かにある。
だが嘘話がなければ、実話もない。
本物がなければ偽物も存在しない。
こういう考え方も出来るだろう。
一体そういうメディアで取り上げられている一連の心霊体験にまつわる情報に対してどう見ればよいのか?これについてちょっとマジメに考えてみた。
テレビなどの心霊体験は嘘ばかりのになぜ心霊ビジネスが大もうけなのか
写真や動画も含めてこうした心霊体験ものは、実のところ実話と銘打ってかなり嘘が紛れ込んでいる。
それをすっぱ抜いた番組が以前、TBS『マツコの知らない世界』で、心霊ビジネスというビジネスが存在すること。
これを心霊映像コーディネーターの山口敏太郎氏を招いて流れていた。
実際に心霊動画を制作し、そのできばえや制作費を検証していくというものだ。
この内容自体非常に画期的だったが、そのような嘘がこういうメディア上でまかり通っている現実もあらためて知っておくべきことだ。
それとともに心霊ビジネスは、人の怖いもの見たさをあおることで、安価な制作費によって巨額の利益を得ることが出来る、非常にオイシイマーケットだと言うことも暴露している。
霊感商法に似ているかも知れない。
1万2万、あるいは数万円の初期投資でもボロもうけ。
自社ビルを建てた制作会社もあるとも流れていた。
このような業界裏の事実をすっぱ抜きながらも、山口敏太郎氏は全ての事実をいまだ明かしていない。
別な動画の中で、彼自身間接的な表現としてこの番組の内容をこう言い切っている。
ただ、おそらくこういう心霊体験ものの番組を見る人は、多くの人は嘘が多い、実話ではないと割り切って見ている人も多い。
私なども心霊動画がよく流されているところを「これ嘘じゃない?」とか「ヘンだよね?」と、友人といっしょにあげつらって見ていたものだ。
でもこういう私たち個人の行動を後で考えると、まさにこういうところにこそ心霊ビジネスが流行る原因があるのではないか?
そう考えてしまうのだ。
その理由はは、要するに
「嘘だとわかっていても、怖いもの見たさで視聴してしまう」
ということ。
つまり遊園地のお化け屋敷に行って、本物ではないことが前もってわかっていても怖い体験をしたくて訪れてしまうのと同じことだ。
心霊ビジネスは、一面こういう人間の怖いもの見たさの心理を巧みに利用しているといえるだろう。
嘘を流しているテレビ局は、法律的に問題にならないのか?
そしてそういう心霊体験が、実話と銘打って嘘であること。
それを百も承知でありながら実話と言い切って流しているテレビ局、そして雑誌や週刊誌などのメディア。
要するに本物ではない、嘘を流し続けて視聴者を騙し続けているはずだ。
なのに、それは法律上問題にならないのだろうか?
私がもっとも疑問に思うポイントだ。
これについて私は法律の専門家でもないし、法律関係者に問い合わせたことはないが、常識的に考えれば大体次のようなこととなるだろう。
現時点では少なくとも心霊体験を含め、霊に関係する現象や人、物について一切証拠となるものではない。
同時にそういう心霊体験を本物とか嘘とか言うことは、「個人の思想の自由の問題」になってくるだろう。
そもそも現実の日本の法律ではそんな心霊現象自体、絶対無いと決めつけているわけだから、それが嘘かどうか判定すること自体「それ以前の問題」となる。
たとえば人がまじないやわら人形などで人を呪ったとしても、その行為自体は罪にならない。こういう例を持ち出すとわかるかも知れないが、この呪いによって相手が死んだり病気になったとしても、呪った本人は何ら罪に問われることもないのだ。
その根拠は上の通り、法律は霊の存在を認めていないことによる。
認められる事案があるとすれば、おそらく呪いという行為をされた相手がそれを知り、精神的にダメージを負ったなどと言うところから損害賠償を求める、などの案件にシフトするのだろうと思う。
心霊現象や心霊体験の考え方
心霊体験とか心霊現象、そういうものをこういうメディアや心霊ビジネスによって、商売にするのは確かにある意味仕方ない社会現象かも知れない。
けれども、だからといってそれに感化された形で、視聴者や個人がおもしろがってそういうものを求めるのはよいのだろうか?
これも私がぜひテーマにしたい問題だ。
結論として、絶対そういう気持ちは膨らませてはいけない。
人間が怖いものに惹かれてしまうと言う思考を利用して心霊ビジネスというのは成り立っていると言えるが、世の中にはこういうものをもっといかがわしい方法で利用し、あぶく銭を儲けている場合が大変多いのだ。
新興宗教をはじめ、変な霊能者という連中、そして上にもちょっとお伝えしたが壺などを売るようないわゆる霊感商法。
最初のわずかな投資で、やりようによっては莫大な収益になることが往々にしてある。
下手をするとこういうところに絡め取られる場合だって大いにあり得るのだ。
そしてそういうものではないにしても、たとえば同じ怖いもの見たさ、心霊体験を経験してみたいという好奇心が働いて、そういう実話があるという場所に行ったりする、つまり心霊スポット巡りを使用とする行為もまた危険の中の危険、といえるだろう。
それこそ嘘だったとしても、そういう情報に自分が振り回されてしまうことだって大いにある。
そして多くの心霊体験がほとんど実話でなく嘘だということになったとしてもそのうちには確かに本物もある。
少なくとも多くの人はそう信じているはずなのだ。
もしも私たちが完全に霊の存在を否定するならば、自宅にある仏壇や神棚は全部不要。
家を建てる際の地鎮祭、氏神などへの祈願も一切不要となるはずなのだ。
でもこれらを一切捨てたりやめたりすることは出来るだろうか?
そういうのは、勇気を言わずに蛮勇、向こう見ずの命知らず。
絶対やってはいけないこと。
多くの人はそう考えるはずだ。
最後になるが、そういうわけで私たちは法律をはじめ、一方で現実の科学的な根拠に基づいて生活していながら、そういう目に見えないものとも共存していることとなる。
霊が存在するのかどうか、そういうハナシはさておいても、人間はなかなか一方的に割り切って極端な考えにはれない。
バランス良く日常を過ごして行ければよいのではないだろうか。
(吉野博耶)