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他人の不幸は蜜の味というのは科学や英語にもあるけれど、逆の真理もあることに注目!

人の不幸を喜ぶという気持ちは誰でも持っているかもしれない。
よくこれを指して「他人の不幸は蜜の味」という言い回しが使われたりすることがある。
そして実際、科学的にもこれが検証済みだ。

元々このことわざのような言い回し、英語圏からきたものらしいが、もちろんそういう人間心理の奥底をとらえていたりするわけだから、当然というか日本にも古くから同じような格言があったりする。

つまり万国共通と言ってよいのだが、本当に他人の不幸は蜜の味のように甘美だとしてもこれを鵜呑みにして、他の人の不幸ばかり願っているというのは道徳的にどんなものなのか?という疑問は必ず誰でも突き当たる。

というか、その対極にあるような人間心理、つまり他人の幸福を願うこともまた科学的に利益をもたらすことがいわれているようだ。
どういうことだろうか?

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他人の不幸は蜜の味は英語でもちゃんとある

まず科学的に事実関係を語る前に、この言葉の由来をお伝えしたい。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉、実のところ元々英語から来ている。
シャーデンフロイデ(schadenfreude:他人の不幸や失敗を喜ぶ気持ち)という英単語がそれに当たるのだが、この単語は元々ドイツ語で、schaden(シャーデン)は「損害」で、英語で言えばdamageなどが当たる。
そしてfreude(フロイデ)は「喜び」。英語ならjoyとかpleasure、delightなどが当たるだろう。

英語だけでなく、中国のことわざにも「幸災楽禍(災ヲ幸トシ禍ヲ楽シム)」というのがある。
春秋佐氏伝という古い書物の中に出てくる言葉で、「幸災」は“他人の災い(不幸)を自分にとっての幸いとすること”を言い、「楽禍」は“他人が災いに遭遇することを楽しむ”という意味だ。
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もちろん日本にもこの手の言い回しは古くから「隣の貧乏は鴨の味」というのがある。

だから実のところ後から日本に入ってきたと思われる「他人の不幸は蜜の味」を待つまでもなく、日本人自身が昔からそう感じていたということ。
その証(あかし)がこのことわざとなっている。

科学的にも人の不幸に快感を覚えて喜ぶのは正しい感情の表現?

古今東西、洋の東西を問わず同じ人間心理の内容が言葉を換えても今に伝えられているわけだが、もちろんその科学的な根拠も実証済みだ。

実のところその実証は日本でされている。
2008年、放射線医学総合研究所が日本医科歯科大や日本医科大などと合同研究して調査したところ、被験者となった人の妬みと、不幸を喜ぶ感情についてショッキングな関係のあることがわかっている。

その中で、まず人の不幸を観察した人には快感を与える物質であるドーパミンを含有する線条体が活動し、しかもそれは妬みの気持ちが強い人ほど強く反応すると言うことが明らかになった。

つまり深く他人をねたむ人ほど、その他人が不幸に陥るとより強い快感を覚えるというのだ。

だから科学的に見れば、そういうアクの強いというか、ねたみ心の強い人はよりいっそう人の不幸が「蜜」、つまり快感に感じることになる。

男女別に見れば男よりも女の方が執念深いだろうし、女の方が残酷だというのも真理だろう。
それを考えれば同じ女の立場からしても慄然とする科学的な事実かも知れない。

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科学的に正しいことであるから良心による行動とは言えない

これを人によっては喜ぶ方は不幸に陥る人に対して自分が優位煮立っていると考え、そのときには同情とか共感など、ある意味上から目線の気持ちが生じるものだ、とも語っている。

科学的に見た場合、私などは不幸にある人を喜ぶのはある意味そういう優位にいる人だけが未来に自分の種をつないでいく、つまり自然淘汰を基本とした種族維持の本能でもあるのかな、などと堅い表現を使ってしまう。

ただ、人間社会を見た場合、当たり前の話だがこの「他人の不幸は密の味」をあからさまに表現するのはやっぱりNGだろう。
人間の生活はどうあがいても必ず隣人とのつながりの中で生きている、という面が大きいし、共同社会がベースとなっている。

そういう共同社会の中でこうした人間の本質のようなものを前面にばかり出していったらどうなるか?
大体とんでもないことになることは容易に想像できるのだ。

そしてもう一つ疑問に思うのだが。
もしもそういう人の不幸を見て、知って快感を覚えて悦に浸ることが出来るとしても、もう一方で人というのは「人の不幸は自分の不幸でもある」ということを知っているはずだ。

身近なケースでは身内。
身内も自分自身でない限り、大きな意味では他人のはずだが、もしもその身内にとんでもない不幸が起こったり、犯罪を犯したりしたらどうなるというのだろうか。

考えるまでもなく、あっという間に自分の幸せさえも怪しくなるはずなのだ。

本当の幸せを考えるために-もう一つの科学的事実

このことから、逆に利他主義というのがある。
つまり他人の不幸を願う、祈る、という気持ちを前面に出した考え方だ。

実際心理学者なども語っていることだが、人の幸せを願うことは自分にプラスになるし、人間というのはその生理現象自体、人のために働く、人の幸せを願う時こそが最も最高に活動すると言うことがわかっているという話を雑誌か新聞の中で読んだこともある。

そして科学的には、英語で『ヘルパーズ・ハイ』という現象の一環として、人の幸せを心から願うと、脳内で幸福感をもたらすベータエンドルフィンが出たり、苦痛を緩和して精神を安定させるオキシトシンという物質が出ることが知られている。

電車の中で席を譲ったり、落ちている財布や貴重品を拾って交番へ届けたりするとほのかにそういう気持ちになる人は多いはずだ。
そこにはちゃんと科学的な根拠があったと言うこととなる。
このことをぜひ心に留めておいて欲しいのだ。
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もちろん全力で人のために生きるのは難しいし、手放しでそういう行動ばかりに走れば、必ずどこかで邪心を持つ人間に良いように騙されてしまうこととなるだろう。

なので「他人の不幸は蜜の味」もそうだが、人の幸せを願いながら生きるという気持ち、それもまた心のどこかに潜めておくのがよいのではないだろうか。

宗教にこだわったり、無理に前面に出す必要はない。
そういう気持ちを出来る範囲で持ち、出来る範囲で何かをする。
そして普通通り生活していく。
それで良いにちがいない。

(喜屋武氷捺)

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