30代になっても婚活を継続している身はすごくつらい。
そんな私がつい先日、街中で目にしたのは、20代に別れた元彼の姿だった。
元彼の気持ちを知りたい、とふつふつ未練が湧いていたところ、20代の頃とはまたちょっと別なおしゃれな格好で歩いていて、しかも新しい恋人らしい女性を連れているのを見てしまった。
こんな経験をした女性は多いかも知れないが、その当事者になってしまうと、過去の苦い思い出がこんなにつらいのか、経験した女性でなければわからないだろう。
友人たちの話では、その二人、かなりよい関係になってきているらしい。
それを聞いていっそう元彼の気持ちを知りたいと言う気持ちになったのは愚かだが押さえようがない。
彼の方から別れを切り出され、泣く泣く別れただけにどうしても見てはならないものを見た感じだ。
元彼への気持ちが状況の寂しさで増幅
久しぶりに沖縄中部の実家に帰った時、寄り道して友人らと北谷(ちゃたん)で落ち合った。
食事で盛り上がったその夕刻、アメリカンテイストで有名な北谷の宮城海岸に繰り出した時、たまたま視界に入ったのは、私たちと同じく夕日を見ている元彼と、そして私の知らない女性だった。
20代、私と付き合っていたように仲良く手をつないで、二人は長い堤防から水平線の上の夕日を見つめている。
一緒にいた友人たちは彼を知っているが、幸い距離が離れていたので気づかなかったようだ、と思ったら海岸から引き上げてきた後、その内の一人が私に
「あなたの元彼いたね!もしかして元彼の気持ちを知りたい、と今までも思ってるの?」
とささやいてきた。
そのとたん私は石になっていた。
たぶん顔が真っ青になっていたはずだ。
忘れられない古傷がうずいたという感じだった。
先にはっきりいうと、
特に彼が他の女性を連れていたり結婚したなどと言う情報を聞きつけるとどうしていいかわからなくなる
こうした経験は30代ともなると本土の方でも多かれ少なかれあるのではないだろうか。忘れようとしていた元彼、その元彼の気持ちを知りたいというのは何か衝動めいた強さでのしかかってくるようだ。
今は沖縄出身の仲間も同じ関東に住んでいてよく連絡をとるからまだよいが、仕事の関係で私は東京へ一人出てきた寂しさもあったりして別れた時は本当につらかった。
元彼が忘れられないとしても泣くしかない!特効薬はないが友人が支えに
同じ体験をしている故郷・沖縄の友人の話を聞くと、異口同音に
「あきらめられないけど、泣くしかないよ」
なのだ。
今さら別れた元彼とヨリを戻すなど、不可能になってしまった。
そんな時、つらすぎて逆に彼氏を憎しみ出す女性もいるとか。
だが、同じ経験をしている女性が友人として身近にいることほど有り難いことはない、ということを私は今しみじみ思っている。
そして友人の中にはイッサーのようにイケメンで女性の扱いが上手い男性に振られた女性もいる。
「私も何人も付き合っている内の一人だったかも知れないね」
と自虐的に過去を話す彼女は、わかっているけど痛々しいものだ。
そして私も含めて別れた女性たちに共通する思いは、
「裏切られた!」
という一語に尽きる。
私の元彼、その「新しい人」の話題が付け火となり、結局その晩は勢いがついて北谷のパブでかなり飲んだ。
多少なりとも憂さを晴らせたのは友人のお陰だ。
忘れられなくとも何とかして忘れるしかない。
元彼の気持ちを知りたいと思っても、知らずに済ませるしかないのだ。
このまま無言で自宅に帰っていたら間違いなくベッドで泣いていただろう。
それでもやっぱり自宅に帰って家族と話をした後、布団の中で涙は出たが。
元彼が忘れられない気持ちはそのままに 時間の経過と記憶の薄らぎと共に徐々に癒えていく
数日経ってやっと少しはふつうの思考に戻ってきたような感じだが、今考えていることは、
これって結局時間と共に忘れていくしかないのではないだろうか?
ということだ。
元彼と私が別れた当初が一番つらかったのだが、それがまさかの先日、その彼があの女性と一緒なのをまともに見つけたことでつらさがり返した。
ぶり返したと言うことは、当たり前だが今まで時間と共に忘れてきていたことはいたのだ。
そして、これは友人のコメントなのだが、
忘れられない、と思うのは悪い自己暗示。
人は過去の記憶を忘れていくものだ。
その、自然の忘却の「力」に頼るしかない。
確かに、冷静に考えればその通りなのだ。
「そして、あんまりつらい時には友人と騒いだりおしゃべりしたりするのが特効薬じゃない?忙しいほどに話してしゃべって、その内に何分の一かは楽になるから!『元彼の気持ちを知りたい』と思う心自体を冷ましていくしかないよ」
この悲しみの特効薬はないような気がしたのだが、彼女の言葉になるほどと思った。
私の口からいうと説得力がないかも知れないが、振られた行為とそれに悲しむ時間は人生の中でほんの一部のこと。
忘れる、忘れられない、は人それぞれだから自分ではどうしようもない。
時間が経つにつれてつらさが徐々に薄らぐ。
その自然の癒しに任せるしかないんじゃないだろうか。
そしてつらくなったら人に頼ること。
同じつらさを共有できる友人に、今の私は本当に感謝だ。
(喜屋武氷捺)