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小林麻央死去 会見の映像で彼が語る「奇跡のような言葉」が胸によみがえる!

小林麻央さんが34歳の若さで死去された。
末期の乳がんだった。

6月23日、渋谷の劇場で会見報告に望んだ夫・市川海老蔵さんの映像が流されたが、そこでは何と彼が語るように「奇跡のような言葉」が伝えられている。

小林麻央さんが死去するのは、今となっては多くの人が予想していたかも知れない。
会見の映像の中で、市川海老蔵さんも終止涙を押さえられず、言葉をとぎらせながら懸命に小林麻央さんの死去の様子を伝えていた。

奇跡のような言葉、それは小林麻央さん本人が、海老蔵さんに「愛してる」と語ったことだ。

会見の映像でも彼は
「本当に不思議なんですけど」
と前置きして伝えている。
映像を生で見ている私自身、聞いた時には本当に信じられなかった。

そしてその奇跡のような言葉に、一人の未熟な女として感動し涙がこぼれてしまった。

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自身の余命を悟っていた小林麻央?奇跡のような言葉の背後には在宅医療で死去を望んでいたのかも

会見の映像の中で、小林麻央さんの死去の様子を国名に報告し、沈痛な面持ちの夫・市川海老蔵さんの様子を見て涙しない女性はいないのではないだろうか。

彼はこの23日午後の会見の前、そしてその後も舞台があった。
その多忙な合間を縫っての記者会見だった。

多忙な中会見に臨んだ理由を、ブログやマスコミでお世話になったために、と海老蔵さんは映像の中で諄々に説明していた。

けれど、恐らくは亡き小林麻央さんが、死去の際に夫の彼に伝えた奇跡のような言葉を知ってもらいたい、という想いもあったにちがいない。

そして確かに、それは衝撃的な、感動的な言葉だった。

会見の映像をご覧になった私以外の世間の人たちには、息を引き取る直前に彼にささやいたという、
「愛してる」
という言葉。

それを知った時、本当に海老蔵さんだけではない、多くの人が奇跡のような言葉だと耳を疑ったのではないだろうか?

最後まで在宅医療を望み、容態が悪化した以外は病院で治療を受けたけれども、小康状態になるやまた自宅マンションにもどってきていた小林麻央さん。

子どもたちのそばにいるとパワーが貰える、とも語っていたようだけれど、それだけ家族を愛してやまなかった。
点滴
そしておそらく多くの末期がん患者の方がそうであるように、病院よりも自宅で最後になることを望んでいたにちがいない。

結果としてそのまま死去することとなってしまったわけだけれど、それが叶った今、満足していることだろう。

生前も奇跡を起こすことについて語っていた?

奇跡という言葉については、小林麻央さん自身も生前自分の病気について語っていたことがあった。
もちろん病気で死去などせず、完治するという意味の奇跡の事に違いない。

昨年16年秋に一度入院先から帰宅した時、それから後にすごく容態が持ち直して元気だったことがあったと記憶しているけれど、そのときには夫・市川海老蔵さんもすでに主治医が宣告していた余命を大幅に上回る健在ぶりだった。

「すごいことが起こっている」
と、妻の小林麻央さんの様子に驚いて彼が語ったコメントが伝わっている。

そしてまた、やはり今回の死去にさいして会見でみた映像のように、9月1日からスタートしたブログKOKOROを運営している小林麻央さんを見て
「今、ブログを書くまで元気があるということはある意味、私にとって奇跡です」とまで夫としても語っている。
(16年9月15日、映画「ハドソン川の奇跡」の試写会に出席後、フジ情報番組「グッディ!」のインタビューで語った内容より)

だが、当の小林麻央さんは
“そうではない、奇跡はまだ先にあると信じている”
という意味のことを、16年10月1日のブログKOKOROで「ご報告」というタイトルの記事の中で伝えている。

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だがこの時点で小林麻央さんはすでにQOL手術を受けていた。

QOL、つまり「生活の質を向上させるための手術」ということで、根治手術ではない。
治る病気というわけではなく、それだけすでに病気は重篤だった。

そしてブログの中でもこのQOLを自身でしっかりと伝えている。
あまりにつらい、悲しい事実だけれど、自分の病気の重さは知っていたはずなのだ。

だからこの時点であるいは自身が死去する可能性も覚悟していたに違いないし、だとすればそういう現実に向かいながらこうした姿勢を見せ続けるということは、ブログ記事それこそが奇跡のような言葉の連続、といってよい。

おそらくそういう意気込みでいる妻の裏で、会見の映像の中で涙ながらに語っていた市川海老蔵さんは、当初から病気がそうそう楽観できものではないと理解していた。

確かに医師の宣告していた余命はとうに過ぎて件座だったけれど、だからといってがんが消滅したわけでも改善したわけでもない。
だからこそQOLの手術を受けたわけでもある。

その思いがあるだけに一層「愛してる」という最後のひと言が奇跡のような言葉として今でもよみがえってくるに違いない。

聞いていた私たち視聴者も、あまりに胸に迫る、本当に愛情の塊のような言葉だった。ハート

死去してもブログを通して乳がんという病気を知らせてくれた。その勇気と功績は多大

小林麻央さんは夫・市川海老蔵さんが会見の映像で語ったように、最後まで希望を捨てないで病気と戦い続けていた。

乳がんが末期になって命を落とす女性は今、大変多くなってきている。
とりわけ小林麻央さんのように、30代、あるいは20代の若い年齢で乳がんにかかったりする女性も増えてきている。

なぜ乳がんにかかる人が増え、しかも若い年齢層まで及んでいるのか、それには色々と原因があるかもしれない。

けれど、その病気の結果だけを考えれば、早期発見をし得なかった場合、その後に待つものは大変な運命だいうことを、自分自身の死去によって改めて伝えてくれたにちがいない。

たとえば、同じように乳がんにかかった有名人として北斗晶さんがいるが、彼女のお陰で乳がん検診を受ける女性が大きく増加したことが知られている。

そのことを考えても、小林麻央さんの死去によってしっかりとこの病気の実際の有り様が伝えられ、健康管理を改めて自覚する女性が増える。
そう信じてやまない。

そのような意味からしても、奇跡のような言葉といってよいのはおそらく臨終の際に市川海老蔵さんに語った言葉「愛してる」だけではないかもしれない。

自身の病気の様子、治療や病状、そして病気の進行を克明に語り続け、それを多くの人に伝えてくれたブログKOKOROは、患者の立場から見たこの病気の真実として今後も大切にされるべきものになるに違いない。

最後になるけれど、妻・小林麻央さんの死去は「人生で一番泣いた日」となり、会見の映像ではあのように男泣きに涙を見せる市川海老蔵さんを見たことがなかった。

奇跡のような言葉「愛してる」には、そういう海老蔵さんの姿を見るにつけ、余人が割り込めない夫婦の絆、愛情を感じてやまない。

どうか今は天国でゆっくり休息し、海老蔵さんや子どもたちを見守っていただきたい。

(一ノ瀬絵美)

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