世の中、お金目当てで付き合ったり婚活、果ては結婚したりする人も多い。
不思議なことに、自分でそういう女になることを選んだはずなのに、ずいぶん後悔している様子を見かけてしまう。
「お金目当てだから、結局恋人だって結婚だってそこには愛情なんてハナからないんでしょ?」
「一体何考えて結婚までしていたんだろ?望むものが持てたんだから後悔しなくてイイじゃない?」
仲間の女子たちからこういう声が上がるのももっともだ。
だが、よく考えてみよう。
私たちは婚活や彼氏を探す上で多少なりともそういう部分、気にしていっているのではないだろうか?
愛情も大切、だが実生活ではお金もなければ行けない。
極端に一方に走りすぎるのがよくないのだろうか?
そこまで考えるといろいろアタマが混乱してしまうけれど、結婚までしてしまっては後悔がまさしく先に立たなくなる。
この女性、私の学生時代の先輩だけれど、実際こういう人は今後どうすれば良いのだろうか?なんだか自分の未来像みたいなのでちょっとマジメに語ってみた。
お金目当てもやり過ぎてしまえば後悔の元!
お金目当てで結婚することを望むこと。
それ自体は悪いことではない。
叱られそうだけれど、はっきり言ってしまおう。
なぜなら実生活するにはお金はどうしてもついて回るからだ。
家庭生活、子供の養育費、教育費や自分たちの老後。
お金のかからない生活など考えられない。
だからここで彼女が後悔しきりにしている原因の“お金目当て”。
これは極端に、愛情とか結婚相手の素性など全く関係ないハナシ。
あくまでもお金ありき、お金だけの獲得をもくろんで、そこに男性が付録でついてきていた、みたいな極端な話になる。
拝金主義、という言葉があるが、ある意味彼女の場合にはそういうところがあったかも知れない。
でも、お金で愛情は買えない。
お金は愛情の代わりになれない。
この一言がすべてを表している、と思いたい。
幸福そうで不幸な原因はお金ではなく、結婚に対する彼女の目的意識のズレ!
ところが彼女、30を過ぎても子供を作る気になれず状態だった。
その上、なんだか外に好きな男性を作っているような気配もすれば、旦那とは全然寝食を共にするでもなく、自分一人だけで(というか、結局外に男性を作ってその彼氏と一緒らしいけれど)海外旅行とか好きなところに飛び歩いているらしい。
それで後悔している?
「はぁ?」
みたいなハナシだ。
旦那と昼夜の行動が別だから当然子供だってできない。
でもこういうこと、彼女だけでなく、女性がお金目当てで婚活の相手探しをしたり、結婚をするのは ある意味一つの落とし穴のようなものかも知れない。
その理由、私のようなお粗末な女が言うのもアレだけれど、
「愛情とお金が取り替えられることができない」
このことを心底理解している女性が少ないからではないだろうか?
だから不思議と高学歴の婚活女性でもこういう後悔がありがちになる。
よい大学を出たりして、履歴書もきれいなままだと、やっぱり相応に由緒正しいというか、安定した所得や優良企業に勤めていたり、または自身で経営者をしている男性の目にもとまりやすい。
そういう“身の上”こそが彼女もなんとなく絶対あるべき必要事項のように思えてくるのだろう。
だから極端な話、そういう肩書きみたいなものが全然しっかりしていない女性の方が、結構お金に頓着無くさばさばしているような場合もあるのかも知れない。
私の友人女子で、子供二人抱えて稼ぎの少ない旦那の尻を蹴っ飛ばして生きている主婦がいたりする。
でもそんな彼女、私が「今幸せなの?」みたいなことを尋ねればちゃんと
「幸せ」
とこたえるのだ。
(M美さん、へんてこな例にたとえてごめんなさい!)
夫婦ってそういうものじゃないのかな?と思うのだがいかがだろうか?
キャリアタイプやインテリの優秀な女性ほど後悔の深みにはまってしまう?
でも、大体の世の中の女性は、金目当てで結婚すると言うことが以下に危険で避けるべきものか、すごくバランス感覚で理解しているものだ。
だから上にちょっとお伝えしたとおりなのだが、変に頭の回転がよかったり、男勝りで頭脳明晰なやり手のキャリア女性みたいなタイプ。
そういう一般的なバランスをあえて理論や才能のようなもので一見“飛び越えて”しまっている様な人の方が、後悔の深みにはまってしまうのかも知れない。
「ある人」に聞いた?今後彼女はどうしたらよいのか
最後になるけれど、結局こういう風に金目当てで結婚したような彼女。
いま後悔して、その勢いで不倫相手の別な男性と再婚してもまた同じいきさつになってしまうことだって大いにあり得る。
なぜかと言えば、彼女の性格、結局お金目当てで愛情の持ち方をこれまで真剣に考えなかった。
そして今後も考えようとしそうにないからだ。
なんとなくだが、今の旦那さんとは別居こそしていないものの、結局そういう彼女のドライさ加減に辟易している結果、寝食が別々になってしまっているのではないだろうか。
一つ屋根で一緒に生活していながら、身も心もはるか遠くにあるようなものにちがいない。
これについて、スピリチュアル的なその筋の女性と話した場合、彼女にすごく面白いことを言っていた。
結局のところ、そういう風にして結婚下のは過ちと気づき、そして後悔した、というのはむしろ「良い事」、だというのだ。
その女性の内容、以下のようになる。
『自分の気持ちの至らなさが結局そういう心の空白になって出てしまったことになる。
だとすれば、確かに結婚自体はもう取り返しがつかないかも知れないし、あえて離婚するとか別な男性と再婚しても、同じような道をたどることになる。
だからむしろそういう残念な気持ちが出てきたら、本当に自分自身にとって今後何をすることが一番心が充実していくこととなるのか?
それを真剣に考えていけるチャンスが巡ってきた、と思った方が良い。
今までの自分自身に足らなかったものが何なのか、それをじっくりと見つめて、今後女性として、あるいは人としてどんな生き方や考え方をすれば今までのような後悔にまみれた惨めな毎日を送らなくてすむのか?
それをしっかり、自分で考えていってみること。
そして実行すること。』
後悔というのは自分の気持ちの問題だし、それをてこにして、今後の自分のあり方をしっかりさせていけばよい。
失敗するのは人生だからしょうがないけれど、その失敗こそが後で成功する元になる。
それをしっかり自身の気持ちの中にもって行けばよい、とのことだ。
こういう人生最大のイベントで失敗するのは確かに避けなくてはならない。
だからいろいろと慎重になる必要があるけれど、逆にどこかで英断する勇気も必要だ。
そのバランスを忘れないようメンタルな部分を充実させていけば良いにちがいない。
(一ノ瀬絵美)