家の中にあるはずの探し物。
これがなかなか見つからないと、物によってはパニックだ。
でも、神様はちゃんと見つかる方法を教えてくれている。
それは「探し物を見つかるまで探す」こと。
一言で言うとこうなる。
「見つかるまで探すのは当たり前でしょ?」
そのとおり。見つからないから“探し物”なのだ。
でも実のところ、すごく心というものが作用している。
何度も見つかるまで探す体験をしているけれど、いつもそう思うのだ。
そして、“極意”みたいな見つけ方がここに隠されているようだ。
今、特に大事なものをどこかに置き忘れてわからないような方はご参考になればと願って、お話を進めよう。
探し物は「見つかるまで探す」こと!真剣になることから始まる。
何の気なしに家の中、部屋の中にちょっと置いておいた物。
それがとんでもなく見つからなくなる。
そんな探し物の辛さ、悲しさ、ムカつき。
あって欲しくはないけれど、よくあることだ。
その時には・・・
とにかく探してください!
見つかるまで探すのです!
ハッキリ言います。
自分の心が納得するまで、その探し物を見つかるまで探す。
これがまず、貴女が第一にすべきことだ。
最も簡単、最もやりたいこと、やらなくてはならないことだ。
その必死の努力の中で、いろいろとまずチエが浮かぶ。
例えば、
- 最後に置いた時、場所を思い出す
- 意外とすぐ近くにあるものだから、自分の身辺を見直す
- 「ど忘れ」は力めば思い出すはずだ、とがんばる
- おまじないを唱える
というもの。
とにかく、本当に真剣にいろいろ知恵を絞る、焦る、パニックになる。
でも心の動きから考えれば、これが最も確実なのだ。
だからこれを好きなだけ繰り返すしかない。
そのために見つかるまで探すこと。
そして、これを気のすむまで続けてみるのだ。
焦りとパニックで疲れた後に「出てくる」?
でもただ、やみくもにパニックになっても焦っても、出ない物は出ない。
チエもそうだし、探し物だってそう。
普通は皆さんこう考えるはずだ。
でも人間というのはずーっと焦っていたりパニックになり続けていられるワケではない。
必ず“疲れる”。
そして冷静になる時が来るものだ。
一生懸命になって、見つかるまで探すのは、実はそのように、心底から冷静になれる時をしっかり作るために行う“儀式”。
そういう物だと私自身経験で痛感している。
そして冷静になったりあきらめたりするとき、ヒョイッと出てくる。見つかる。
実際、私はこういう風にしてパニック状態で見つかるまで探すことをやりまくり、そしてくたびれ果ててあきらめた時に限って探し物が出てきている。
皆さんも同じような体験がないだろうか?
私はこればっかりなのだ。
完璧、体験から得たこと。
それがこういう「見つかるまで探す」と言うことになる。
なぜ自分の気の済むまで「見つかるまで探す」と出てくるの?
でもなぜこういう風に、自分の気の済むまでパニクって焦りまくって探した後、あきらめたら探し物が見つかる(というか「出てくる」という感じ?)のか?
本当に自分でも不思議に思うのだが、とにかく探して探して、探し疲れて
「もうダメ、これ以上探してもないものはない!」
と「あきらめ」「悟り」ムードになり、そしてなくなった探し物の代わりに別な物を使うとか、新しい何かを買うとか決心して晴れ晴れすると、いつもなぜか目当ての物が見つかる。
「持論1」“気持ちの余裕のなさ”が記憶を劣化させる?
この理由をちょっとひもといてみた。
まずそこには心、というより自分の“気持ち”が大きく働いているのではないかと思う。
今すぐ必要になるような探し物を、それこそ血眼で探しまくっている時には見つかるまで探す、という気持ちが先行して、心がそれに一極集中していると言って良い。
他の事を気にする心の余裕が全くないのだ。
何の気なしに置いたものほど記憶に残らない。
他のことを夢中になって考えながらある物を置きっぱなしにする時もそうだ。
特に私など、言ってみれば「ど忘れの鬼」だから、例えばある物を何気なく適当なところに置くと、
「ちょっと思い出せないな」
みたいに感じたらもうダメ。
「あれ、どこへ置いたのか、全然思い出せない!」
と不安と焦りは増殖する。
そうして心の余裕がなくなってしまう。
そうするともういけない。
思い出すというのはそんな時の私にとって「高級な行為」。
記憶の引き出しにガッチリ施錠となってしまうのだ。
「持論2」心の開放がひらめきと探し物を見つけてくれる
でも、多くの方にご経験があると思うけれど、そう言うしゃかりきになって探し物を見つかるまで探す、と意気込んでがんばるとやがて疲れてしまう。
焦りや不安を感じるだけ感じた後、それでも見つからなければ心が
疲れて、やがてあきらめムードに浸ることとなる。
そのあきらめる、という心の行為が、探し物を求めて凝り固まった貴女の子心、さらに言えば焦り、怒りの気持ちをやっと開放してくれることになるのだ。
そしてその時こそが、ちょっとした記憶でもしっかり思い出させたり、ひらめきを持ってきてくれる。
その心の開放が「見つけてくれる」といえるかも知れない。
「持論3」探し物が“自分から出てくる”?
だから大切なのは、そういう心の開放される状態になるだけ早くなれること。
それが手早く見つけるカギになる、といえるかも知れない。
話は戻るけれど、そういう一番リラックスして開放された心の状態になるためには、結局大変かも知れないけれど、
- 見つかるまで探す
- 気の済むまで探しまくる
- 「いくらでもパニック」上等。焦ってありどころを考える、置いた場所や時を思い出そうとする
と、がんばりまくるのが一番というしかない。
そして、それが出来たとき、不思議だけれど私の場合、
“探し物が自分から目の前に現れてきた”、
そんな風にしか言いようのない出方をしてきたことがある。
本当に、心の力はスゴイ。
変な自画自賛だけれど面白い体験だった。
慌てたり焦りやすい人ほどド忘れする?
ただ、もちろんこんな探し物の“こしらえ方”、出来ればない方が良いに違いないけれど、心理的に考えれば、ど忘れしやすい人ほどこういうパニックを経験するのかも知れない。
そして、なぜど忘れしやすいのか、といえば私がそうだけれど、ちょっとした事で焦ったりパニックになりやすい人。
なんとなくそう思えるのだがいかがだろうか?
そして、そういう性格の人はとりわけ探し物がなかなか見つからなかったら、とにかくまず
「何としても見つかるまで探すぞ!」
と腹をくくって行動すべきではないだろうか?
あきらめる気持ちをなるだけ早めに出すよう習慣付けること
ただ、性格はあくまで直りにくい心の部分でもある。
今すぐ自分自身の考え方とか性格をあらためる事は出来にくい。
でも、だからといって毎回それこそ「探し物大会」よろしく、ちょっと小物が見当たらない、どこに置いたか思い出せない、と涙目で 見つかるまで探すのも心が折れてしまうかも知れない。
そういう方には、
“早めにあきらめる習慣を付ける”
というのも一つの方法だろう。
実際、私はやっている。
ある物をちょっと探しても出てこない。
そういう時には
- 「また別なのを買おう!」
- 「これってもっと良い物を買うチャンスだよね?」
- 「探すのあきらめた!新しい物を買えばかえって気持ちいいじゃん。」
みたいにポジティブになるのだ。
もちろん探す物にもよるけれど、こういう考え方の方がハッピーになれる場合も多いのではないだろうか?
私はこういう思考パターンを実践中。
でも、一つだけ最後に。
こうした時に限って、必ずあっという間に探し物が目の前に出てくる。
「何で何で?」
喜んで良いのか怒って良いのか?爆笑
増淵夕子