世の中は平等ではないというか、特別肌の手入れもしなさそうでいて、それで綺麗な人と言うのは確かにいる。
先天的な体質というのもあるかもしれないが、私など努力と工夫を重ねているのになぜか肌ムラ、毛穴が目立つ。
だからはっきり言って元から肌の綺麗な人、それも体質からもともと綺麗な人というのは羨ましいとしか言いようがない。
けれどそういう人にあやかれるものならやっぱりあやかりたい。
どうにかできる方法はないのだろうか?
何もしなくても肌が綺麗な人は体質や遺伝によるものが多い
30代になるとさすがにそういうもともとの体質的な理由から肌が綺麗な人も、保湿したり最低限のメイクは手がけることも多い。
そして季節がら日焼け止めも使うこともあるようだが、それにしても体質的に肌の代謝能力というか、自浄能力の強い人というのはやっぱりいるんだな、と憧れてしまうのだ。
そういう肌の綺麗な人が前板職場にいて、やっぱり気になるのでファンデとかメイクなど何を使っていたりするのか聞いたことがあったけれど、暖簾に腕押しの返事しか帰ってこない。
“自分の母親とか兄弟もそうだから家系だと思う”みたいに、ガチ遺伝的な 体質としか考えられないようだ。
そういう人たちに張り合うというのはおかしいけれど、結局私たちのような、普通に年齢とともに肌がどんどん衰えて見栄えが落ちてくるような女性の場合、基礎化粧品から始まってメイクで外見をつくろうような作業から抜け出せない。
それでやっと元からの体質によって肌の綺麗な人と張り合う事ができている。
比較してしまうとすごく大きな手間と労力、そして気の配り方のはずなのだ。
生活習慣の改善で同じような体質になれるのか?
だから私はよくそういう、極端に言えばすっぴんのままで肌が綺麗な人のようになれるのか?
言ってみれば何らかの体質改善を目指して食習慣とか生活習慣を変えてみれば同じように元から肌が綺麗な人の仲間になれるのか?
私だけでなく、女性なら一番興味の湧く疑問ではないだろうか?
考えようによってはそういう努力を徹底的に続けていれば、何らかの成果は得られるに違いない。
でも結局のところ、肌のキメの細かさとか毛穴の大きさなどはどう考えても先天的なもの。
百歩譲って、後天的なものだとしても、おそらくは子供の頃からの生活習慣が積み重なってできたものに違いない。
そういう現実に対して、私たちのようなアラサー、30代になった女性たちがどう頑張っても太刀打ちできるものではない、と言うしかないかもしれない。
そしてこれに一言付け加えたいのだが。
なまじ競争心を沸き立たせてそういう体質的に綺麗な人と同じような肌を目指そうとして、様々なコスメ、スキンケアを厚くしたりこだわりすぎたりすると、後々かえって汚れて見えてきたりする事があると言われているから要注意だ。
細かな原因は分からないが、結局肌の自然回復、ターンオーバーなどを無視して厚く表面に塗ったりすると、自浄能力を低下させてしまうのかもしれない。
ここではひとまず肌断食などをむやみにおすすめするつもりはない。
けれど、なまじ自分に自信が持てないと、どうしてもメイクにこだわる傾向が強くなってしまうはずだ。
実際上、あくまでも伝聞になるけれどスキンケアやメイクの効果を全体としてみた場合、効果がないような場合も多いという。
言ってみれば気休めに終わるような化粧だってあったりするとも言うようだ。
見栄えはある程度しょうがないとして、あくまでも肌の健康を考えた場合にはどこかで悟るポイントが有るのかもしれない。
実情を受け入れることも大切!そこから見えてくる自分に合った化粧の方向性!
そういうわけで、家系のような体質的な原因で、何もメイクしなくても綺麗な人と言うのは確かにいる。
そして中には60代、70代になってもそういう肌の衰えない人もいたりするのだ。
そういう女性を目のあたりにするのも辛いことだけれど、持って生まれた体質によるものも大きいから、結局自分の努力ではなんともできない。
身長が自分の思うとおりに伸びない、縮まないのと同じはずなのだ。
だからそういう自分に手の届かない他者と比較しても余計劣等感にさいなまれることになるかもしれない。
けれども、それよりも大切なこととして考えていきたいことがある。
それは、私も感じるのだけれど、自分の肌に最もふさわしい自分独自の姿を追い求めるべきではないだろうか、ということだ。
本当に個人差がある部分だし、それだからこそ一人ひとりによって自分の「見せ方」も変わってくるべきだ。
元から綺麗な人というのは、もともとそういう体質のお陰で、ということだけにこだわらず、また肌にばかり目を向けるべきものでもない。
自分の良さを発見して行くことも大切になるし、それを上手く外見に出す努力こそ本当に必要なのではないだろうか?
先天的にキメやツヤの良い人は、そのための“参考”。
そう考えて良いに違いない。
(増渕夕子)