人間不信は誰でも陥りやすい心の闇だ。
でも、克服できないわけではない。
そして人間不信をいつまでも克服しなければ、彼氏ができたり、友人を増やしたりなど、外に向かって自分が育っていかないはずだ。
信頼しきっていた彼氏や親友と呼べた女友達、同僚からひどい仕打ちや裏切り行為を受けたりして、人間不信にまで追い詰められた人も多いだろう。
そういう人たちに向かって平然と克服しなくては彼氏もできない、結婚も無理、などと言うのは残酷すぎるかもしれない。
でもどこかで必ず自分自身の心に向き合う勇気を持たなくてはならないときがやってくる。
そしてそれは私たちのように30代の女だったらそう遠くないはずだ。
あまりに辛いショックから人間不信になる
ただ、確かに程度に寄るけれど、人間不信を克服して新たに彼氏をつくるなどするには、あるていどのプロセスや時間も大切になる。
人間不信にかかってしまう人というのは、元々がすごく素直な人が多い。
それだけに一度好きになった彼氏でも親しい友人でも、素直に信じてしまう。
もちろんそれはそれで人間として大切な、素晴らしい心のあり方だろう。
でもその反面、どうしても心が弱い。
つまり、ちょっとした心理的なショックによって普通の人以上に落ち込んでしまったりするものだ。
よく言えば純粋だろうし、悪く言えば世間の汚さをあまり知らない。
そのため、だまされるショックに耐性がないような人が多い。
だからいったん彼氏に浮気されたり、親友と呼ばれる同僚や女友達などから陰で悪口を言われてしまっていることがわかると、大きく心が乱れる。
そしてその反動として、人間不信に行き着いてしまう。
彼氏など怖くて持てなくなったり、友人との付き合いもめっきり減っていく。
そして結局のところ信じられるのは自分一人。
ひどい場合には自分の両親に対してさえも不信感をあらわにする。
自分以外は何もかも疑う。
かつて経験したひどい体験を二度としたくない、そういう思いに駆られてしまうからだ。
そしてその緊張感が抜けないので、いつもオドオドしているし気が晴れないのだ。
そういう人にとって平然と克服しろ、彼氏をつくらなければ将来困るから、などといきなりさとそうとするのはどだい残酷すぎる話だ。
克服の第一歩は、ひどい目に遭った環境から身を引くこと
ではそういう人に向かって、何から始めれば人間不信を克服できると言えるだろうか?
まず第一に、ひどい目に遭った環境をすべて変えてみる努力をすること。
彼氏に二股をかけられた、親友に裏切られた、あるいは信頼していた人にだまされてしまったショックは、その人の顔を見ただけでよみがえってしまうものだ。
だとすれば生活を一新して、転職や転居を考える、というのが一つの有力な方法になる。
でも、普通に考えれば今すぐそんな大がかりなことはできない、という人が大半だろう。
そういう方はぜひある程度の長い期間、旅行に出かけてみたりするとよい。
転居ほどではないにしろ、辛い目に遭った環境や人の輪から一時的にしろ抜け出すことができる。
一時的とはいえ、一週間くらい旅先にいればわかるけれど、すごく気持ち的にも楽になってくることが多いので、おすすめになる。
話す努力を徐々に!
その次に、旅行や転居などによって少しずつでも気持ちが楽になってきた時点でやるべきことがある。
人と話す努力だ。
もちろん今まで自分が辛い目に遭わされた人と再び話すことではない。
環境を変えたことで新たに出会った人たちと、徐々にで良いから話す努力をしてみることだ。
お互いに初顔のケースが多いはずだから、最初はそれこそ社交辞令や挨拶程度のものになるけれど、そのような表面的な会話で徐々に自分の心の闇をほぐしていくとよい。
また、それすら怖い、という方は心療内科でカウンセリングを並行して受けてみることもおすすめだ。
というか、むしろそういう風に医療機関にかかりながら、徐々に自分の心を取り戻す作業を続けていく方が無難でもあるのでおすすめになる。
最低限人を信じなければ生きていけない?
ここでぜひ知っていただきたいことがあるけれど、なぜこのように人と話す努力は必要なのか?
確かに人間不信に陥るほどに人にだまされ裏切られたショックは同情するしか言い様がない。
でも、そのまま人間不信の状態を一生続けていられるだろうか?
結局世の中というのは人と人が大なり小なり関わり合いながら形成されている。
その中で、自ずから適度に相手を信用しているからこそ共存していける、生きていけるはずなのだ。
徹底的な人間不信に陥ってしまうと、それこそ自分の部屋から一歩も出られなくなる。
彼氏とか結婚相手などは言うに及ばず、親兄弟だって信用できなくなるはずだ。
だから時間はかかっても、医療機関や自分自身の努力によって女医所にでも人間不信は克服しなければならない。
克服という言葉は勇ましすぎる表現だけれど、彼氏や親友などにひどい目に遭わされた、その前の快活な自分自身に戻れればよい、ということ。
難しく考えることはない。
過去の自分よりも新しい自分を求めること
ただ、以前の自分自身に戻るということすら辛い記憶を呼び覚まされることかもしれない。
そういうときには過去を克服して、新しい自分自身になる、新しい彼氏と出会うと考えればよい。
また、そういう思いを持った方がむしろ彼氏を探したり友人などの人間関係を再び持つ際にはいろいろと楽なはずだ。
そしてもう一つは、過去のそういう人間不信という経験を通して、人との接し方に対する知恵を学んできたはずだ。
これは間違いない。
具体的には人について、信じられる、信じてよい範囲を持つこと。
それを知ったはずだ。
そしてその範囲の中でお互いを信頼し合いながら、以前よりもよい人間関係をつくることができるに違いない。
それが実現できたときに、本当に人間不信を克服できたと言うべきだ。
人によってできた人間不信は人によって治すしかない?
彼氏に浮気された、二股されたなどとこっぴどい目に遭った女性は私の周囲にもいたりする。
そういう彼女の様子を見ていると、それなりに平静を装ってはいるけれど、すごく男性不信、人間不信にもなってしまうようだ。
でもその彼女が語るのは、
「結局恋愛で受けたショックは恋愛でしか治らないよね」
ということ。
彼女だから言える、といって良いのだろう。
彼氏から受けた人間不信も、結局はその元彼を忘れて新しい彼氏を探すこと。
もっと言えば人間不信というのは人間関係によって引き起こされたわけだから、それを克服するのはやはり人間関係に対して自分の心の向き合い方を見直すこと。
これが一番大切になるに違いない。
(一ノ瀬絵美)