独り身のまま長らく暮らしていると、すごく孤独に襲われることが多い。
寂しい時はどうしたら良いのか、特に夜などは本当に辛いことがある女性は多いはずだ。
その寂しさ、確かにある程度慣れてしまえることだってある。
スマホいじったり、テレビやラジオをつけたりすれば気持ちは紛れるはずだ。
だがそれは一時しのぎに過ぎないし、本当に寂しい時はどうしたら良いのかということを、普段から考えておく必要もある。
なぜこんなに自分はさみしいのか、まずしっかり考えよう
寂しい時はどうしたら良いのか、というのは実はいわば“応急手当”のようなものでしかない。
いろいろと寂しいときには気を紛らわす方法もたくさんあるけれど、どれがあくまでも本当に寂しい気持ちを一番根元から改善してくれる方法ではないからだ。
当たり前だが、独り身で30代40代と過ごしていれば、誰だってさみしい思いは募る。
そういう風に寂しい時はどうしたら良いか、といえば、多くの女性たちは当たり障りのない、「気の紛らわし方」をするものだ。
ペットを飼ってみたり、料理や手芸など、趣味に打ち込んだりあるいは旅行したり。
個人的には、旅行はすごく気持ちをリフレッシュしてくれるから私も好きだ。
だがそれでもはっきり言えるのだけれど、旅行はあくまでもそういう寂しさで傷んだ心を癒してくれるけれど、根本的な解決にはならない。
そういうものはあくまでも本当に寂しさを解決する努力をする、そのために活力を与えてくれるものでしかないのだ。
だから寂しい時はどうしたら良いのか、ということを真剣に向き合って考える必要があるのではないだろうか?というのが私の思考になる。
ひとりぼっちの時に寂しさを感じる人は一面幸せかも
ただ、思うのだがそうやって寂しさにうちひしがれてしまうあまり、じゃあこういう寂しい時はどうしたら良いのだろう?と自問自答していく方たちはある意味すごくラッキーかも知れない。
なぜならば人間というのは一人でいてはいけないからだ。
一人でいると年をとってくればいろいろな困難に出くわすこととなる。
いきなり自宅や自室の中で、脳梗塞などで動けなくなったらどうするのか?
放っておいたら部屋の中で倒れたまま命を落としてしまうのだ。
そこまで行かなくとも突然のけがや重い病気にかかって半身不随になったり、病院のベッドで身動きがとれないことになることだってある。
年をとれば今のように体が動くわけではない。
頭の回転も弱くなってしまう。
いくらでも社会の弱者になって、1日の内に多くの危険な目に遭ってしまうこととなるのだ。
だから、寂しい時はどうしたら良いのだろう?というのは一面心の悲鳴かも知れないけれど、先を見据えればぜったに感じるべきだし、それによって何かのアクションも起こすべきだ。
自分の命さえも脅かす。
大げさに聞こえるかも知れないが、孤独というものの本質はこれで間違っていない、と私は思っている。
絶対に一人であってはいけない。
そういう風に心と体が警鐘を鳴らしている、とぜひお考えいただきたい。
だから、出会いがない、彼氏もいない、と寂しさにうちひしがれてしまい、将来を悲観するまではまだ良いかもしれない。
だからあえて言ってしまうのだが、それをお酒やペット、手芸や料理など、何か興味のあることで一時でも気を紛らわすのは良いけれど、長い目で見ればあくまでもそれが一番の処方箋だ、と思うのはいかがなものか?
そう考えてみれば、こういう結論になるのではないだろうか。
「寂しい時はどうしたら良いのか、それを気を紛らわして、こころの痛みを和らげるのはあくまでも応急処置。
本当にそういう寂しさを一番根本的なところから解決するのが本当に大切なことになる。」
出会いがなくて結婚相手がいないのがすべての寂しさの根本にある
ただ、寂しい時はどうしたら良いのかについて、単に口先でこういう風に大上段に語ってみてもなかなか思うようには行かないし、それこそ大変大がかりな取り組み方をするしか方法はない。
そしてこれも当然すぎるほどに当然のことだけれど、私たちのような未婚のままでいる30代、40代女性が寂しさから抜け出すためには、結婚相手や交際相手と出会って結婚することを前提にしっかりと交際すること。
陳腐になるけれど、これ以外の処方箋はない、と言うしか無い。
しかしながらここで多くの女性の方たちは堂々巡りになってしまうはずだ。
“そんなに安直に良い出会いなんかない。”
“婚活の実態を見れば、私たちのような年齢の女性にとって結婚相手と出会うのはとんでもなく可能性が小さい。”
これについては誰も反論できない。
さみしいと嘆く人は婚活でうちひしがれて出会いに臆病になってしまっている?
だが、私は自分自身、そして多くの私と同じくらいの年齢で、しかも未婚のままでいる女性たちとよく会ったり、友人として様子を見たりしているのだが、そこでなんとなく感じることが一つある。
私もそうだけれど、そういう女性は
「寂しさを自分で選んでしまい、その中で何となしに安住してしまっている」
ように思う。
それでいていつも心の底では痛みが走っているのだ。
だから自分から好んでさみしい思いに駆られる身を好んでいる、そんな気もしないではない。
出会いたい、良い人と結婚したい、という願望は根底にあるけれど、婚活の厳しさにうちひしがれてしまっている、というべきなのか、自分に自身がモテなくなっていると言うことも少なくない。
でもこれだってよく考えれば、ごく当然の帰結になる。
婚活市場に出れば、結局20代女性の天下になっている。
30代、40代などになればもうすでにそこでワケあり、出産も危ぶまれるような年齢。
たとえ男性本人がそういう女性を気に入ったとしても、背後にいる両親や縁者が放っておかない。
負の可能性を考えればいくらだって悪い方に考えられるのだ。
寂しいときには視野を広げること
じゃあ突破口はないのだろうか?
独り身がそもそも寂しさの原因ならば、そしてその寂しさを一番ストレートに解決すべき出会い、結婚相手の見つけ方が上手くいかないときには一体どうしたら良いのだろうか?
ここで私は、寂しい時はどうしたら良いかと本気で考える女性が目の前にいると考えて、その彼女に語りかけるとすればこういうことを言うのではないか?と思うことがある。
「婚活を諦めれば寂しさ、将来が不安。だから婚活を絶対諦めてはならないはず」
私の結論はこうなる。
つらい、確かにこう言い切ってしまうことも、言い切られる方も辛いはずだ。
だが、婚活をせずに、単に確率や年齢を考えて諦めてしまえば将来を投げ出してしまうことにもなる。
その時は本当に自己責任で自室で一人突然死、という恐怖と背中合わせの未来しかないはずだ。
だから、寂しい時はどうしたら良いかといえば、石にかじりついても婚活を続けること。
これが結論と言うしか無いこととなる。
もちろんこれだけでは本当に辛すぎる、痛すぎる話になる。
だからここでもう一つ、一つの考え方をお伝えしておきたい。
それは結婚相手を探し求めることに限らず、できるだけ多くの人に会って交流するチャンスを作るべきだ。
それが自分自身と同じ趣味を持ったり同じ分野の勉強をしている人たちでも良い。
男性女性を問わずそういう大勢の人と交流するべきだ、というのが私の考えになる。
なぜかと言えば、そもそも結婚相手というのは、そういう交流する人たちの母数が多い中で、自然に出会うべきではないだろうか?
いたずらに婚活サイトや婚活パーティーなどで人工的に出会いをつくり、その中できわめて限られた時間や会話の中で相手を見つける、という作業はどう見ても元々上手くいくはずがない。
一方、多くの人たちと交流すれば、その中で考えや同じ趣味を持つ人との交流も増える。
たとえそれらの人たちが女性であっても、あるいはそういう人たちの横のつながりを増やしていく中で出会いも自然に生まれるのではないだろうか。
寂しい時はどうしたら良いのか、だからまず応急的には気を紛らわす方法を普段から考えて生き、それと並行してしっかりと将来にわたっての努力も絶やさないこと。
その中で本当に心が疲れてしまったときには旅行するも良いし、ペットや友人女子たちとの語らいも良い事だろう。
というわけで、最後は結局私自身がいつもやっていることに戻ってしまった気がする。(爆笑)
でも、辛いのは誰だって辛い。
同じ年齢で未婚のままでいる女性たちは必ず貴方だけではない、多くの同じ気持ちの方々がいて、きっと励ましてくれているにちがいない。
ぜひそう思っていただきたい。
(一ノ瀬絵美)