宮沢りえさん(42)がついに破局した。
元プロサーファーの実業家と4年越しの別居生活の後、所属事務所から正式な離婚発表がファクス送信されたとのことだ。
芸能人には離婚がつきものというが、たいてい表向きは意見の相違とか、二人の進む道が異なって来た、という美名に隠れているものだ。
あえて隠れている、と言ってしまったが、宮沢りえさんの場合、そんな詮索が自然とまかり通るくらいこれまでにいろいろなスクープもあり、また若い頃には豪腕マネージャーの母によって、一躍時の人となっていた。
その宮沢さん、今後はもしかすると自分の一人娘を亡き母親のように育て上げ、若い頃のような芸能界デビューをさせるつもりなのではないだろうか。
そのいきさつを追ってみれば、彼女の娘が今後どう言う風に育てられるのか、大体想像はつくかも知れない。
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宮沢りえは旦那と長い別居続きでシングルマザー状態だった
宮沢りえさんについてはっこれまでもほとんど破局が秒読み状態になっていたが、実際のところ実業家の旦那はハワイに在住し、二人の間にもうけた一人娘はもっぱら母の彼女が育てていた。
離婚後の真剣の問題についてはまだ語られていないようだが、おいおい出てくるにちがいないし、予想としてはっぱら保育園の送り迎えを含めて育児は自分の手に委ねられていることから、99%彼女に渡ると思われる。
しかしながら彼女が今後、自分の娘をどう育てていくつもりなのかはもちろんまだ語られていないが、亡き母による彼女の芸能界プロデュースから判断すれば、その道筋は予想が付くのではあるまいか。
宮沢りえの波瀾万丈は亡き母によってお膳立てされた
2009年5月に娘を出産した彼女は、若い頃は自分の母親によって華々しくデビューを遂げていた。
しかしながら、常に宮沢りえさんの背後に隠れていた形となっていた亡き母・宮沢光子さん(享年65)は、自分が“お水”をしていた店で知り合った客でオランダ人の男性と結婚し、りえさんを産んでいる。
そして保険の外交員の仕事と並行しながら芸能界の重鎮たちがよく来るという銀座の店で接待業で働き、芸能界における人脈をつくり上げていったようだ。
彼女のやり方はきわめて簡単で、その店に子供の理恵さんを連れて行き、そういう芸能界の重鎮たちの目に止まらせるようにしていたという。
そして彼女の計画通りとなった。
そんな経緯からりえさんが11歳の頃にはもう彼女を芸能界デビューさせる一方で、徹底的にセンセーショナルな話題作りにいそしんだ結果、あのサンタフェの写真集の大ブレークとなる。
宮沢りえさんがまだ10代の頃だった。
そして数年後、当時大関でこれまた角界で大ブレーク中だった貴乃花(貴花田 当時)関との婚約が本決まりになったかと思ったら、2ヶ月後に突如婚約解消。
原因は定かではないが、結婚したら力士の妻としてが相撲部屋の女将になって芸能界から身を引かなくてはならないことに母の光子さんが猛反対したためとも言われている。
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その後歌舞伎役者の中村勘三郎氏との不倫騒動が発覚。
あの未遂騒動。
そして再婚して今回離婚に及んだ元サーファー旦那についても、ハワイの日系人社会の間ではなにやらきな臭い評判となっていた矢先だった。
故人の悪口は言いたくないが、若い頃から今に至るまで、宮沢りえさん自身は母親の幻影の中で生活していたのかも知れない。
そしてまた、自分が亡き母親と同様に一人娘を持った今、母親と同じような経緯を娘に辿らせるのだろうか?
それが良い、悪いはひとまず別として。
彼女の娘は今、幼稚園から大学まで一貫性を持つ世田谷区の名門小学校に通っている。
その前、娘が3歳で幼稚園に上がる時の入園式には、140万円もするシャネルのスーツを身にまとって娘の手を引いて現れたのは有名だ。
彼女は一般人として生きる方がよかったのかも
宮沢りえさんは11歳で芸能界デビューとなったが、母がそういうわけで早くから芸能界にコネを付けることに精を出していたはずだ。
だとしたら、りえさんがまだ10歳になる以前に、母親は芸能界の関係者に彼女を売り込もうと画策していたことが予想される。
しかしそういう生い立ち、ふつうはどう考えても異質だし、決して本人の幸福に直結しないのではないだろうか。
彼女としては、おそらく心のどこかで母親を吹っ切る気持ちが成長するにつれて湧き上がっていたことは間違いない。
だから貴花田との結婚が破談になった後、個人的に見れば彼女の行動は芝居や女優としての仕事派別として、私生活は自暴自棄状態だったように思われる。
それを考えれば、彼女の性格としてはもっとふつうの女性としてつましく暮らしていた方がよかったのではあるまいか。
美人すぎる女性として生まれてきた彼女に対して、いわば“奇貨居くべし”と目を付けた母親と同じような若い頃の経験を、自分の娘にさせようとするのかどうかはわからない。
だが、彼女自身はふつうの一般人の女性で母親として生きていた方がよかったのかも知れない。
(吉野博耶)