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厄年で災難続き?救われてホッとできる5つの行動で迷いを打ち切ろう!

厄年の時、災難続きだったと話す人はたくさんいる。
確かに厄年は悪いことが起こりやすい年というから、病気や不幸など、災難続きだと思うのは無理もない。

けれども一方で、厄年だからといって決して悪いことばかりばかりではなかった、災難続きどころか良いこと、祝い事が重なったという人も多い。
これを忘れてはいけない。

そして間違いなく人それぞれの思い込みもある。
特に厄年が心配な人とか、ネガティブに考えがちな人はできるだけ正しい心のあり方、考え方を持つべきだ。

ではどんな心のあり方を持てば一番安心できるのだろうか?
とても大切なのでご紹介してみよう。

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スピリチュアルな作用はゼロ!厄年が災難続きになるのは必然的なもの

まずよく言われるけれど、厄年というものに超自然的な作用は一切ない。

六曜の「仏滅」同様で、厄年には災難続きを体験したとしても、そこにスピリチュアル的な原因はない。

あるのは
そういう年齢にさしかかったら身体的、環境的に生活上で必然的に起こる災難の可能性
ということだ。

私たち女性は、30代のうち33歳、37歳に本厄が来る厄年を迎えるけれど、結局女性に特有の悪い出来事が健康や仕事、生活の面でこの30代に多く集中しやすくなる。

だから災難続きに見えるという人も多くなる。

そしてそこにまた、個人個人の思い込みも作用してしまう。

だから特にそういう災難続きだと感じている時には、心のあり方をしっかりと見つめること。
正しい気持ちを持つようにして、迷うことのないようにすべきだ。
神社
そのために大切なことを5つほど、次にお伝えしてみよう。

【1】厄年自体は迷信

貴女の周囲を見ても、人によって厄年をどう考えているか様々だ。

とくに災難続きな厄年を体験している人などは、迷信だと思っていてもそれなりに「やっぱり何かある?」
と思うことも多いはず。

けれど、それでも迷信だということは間違いない。

だから災難続きになったとしても、客観的にみれば必ずどこかに根拠があったはずで、それがたまたまそういう年に出てしまったということになる。

根拠のない迷信に流されないよう「強い心」を持つこと

大切なのは、そういう合理的な解釈ができる心の強さ
回りが根拠なく怖がっていても、気をしっかり持つこと。

こうした基本「根拠のないもの」に流されないように、現実をしっかり捉える強い心を持つことだ。

具体的にどうしたらそうなれるのか?

そこで私が提案したいのは、お祓いなど、意味がないとわかっていながら「受けないと気が済まないもの」を少しずつ遠ざけたり、少なくする様なプチ努力をしてみると良いと思う。

自分の気持ちを徐々に、そういう無駄な呪縛から離していくわけだ。

【2】締めるところは締める!確かにリスクがあるという「事実」を忘れない

ただ、現実に考えれば、厄年やその周辺の年齢になると、いろいろと健康の衰えや生活の転換期とかにさしかかる。
だから実生活の上では注意すべき、という昔ながらの知恵でもある。

これだけは絶対に間違っていないはずだ。

確かにそういう時期、災難続きになるのを心配するのは行き過ぎかも知れない。
けれど、現実の生活や健康面での気遣いには注意を払っておく必要はちゃんとある

これをはき違えないこと。

厄年には迷信の部分と、現実の生活に対する注意の喚起という二つの部分がある。
そして私たちが確かに警戒しなくてはならないこと、それがまさに後者だ。

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【3】厄年の前後こそが本当に怖い?

災難続きの期間が厄年に集中する、と主張する人は多い。

けれども一つにはそういう人たちの中には余計に災難続きになる「気がする」だけの時も多い。

つまり思い込みもある。
これは否定できない。

けれど、そういう人たちの心配にも一応もっともだと思えることも確かにある。

上の【2】でお伝えしたとおり、こうした年齢になるととかくいろいろと転換期になって体の衰えや生活の変化も多くなる。
その心配は確かにすべきだからだ。

前後で油断するとかえってリスクが増大

けれどこういう心配する人たちは、その期間が過ぎるとあたかも
「不幸は去った」
みたいに捉えてしまうことも多い。

これは絶対に間違いだ。

単純に考えても、そういう現実の転換期とか変化の生じる期間、とりわけ今の世の中になると本当に人それぞれに異なる。

厄年で指摘している年齢自体、そもそも昔からの言い伝えのレベルに過ぎず、何の科学的根拠もない。

それが過ぎたからといって油断してしまうとどうなるか?
現実を考えればそれこそ災難続きの不幸を呼び寄せることとなる。
御神酒
よく聞く話だけれど、厄除けのお参りに行ったり、お守りをあちこちの神社やお寺で買い求めていた人が交通事故に遭ったり、大病を患ってしまったりする、ということも聞く。

実は『役に立つ』年?めでたいことが巡ってくることも

逆に婚活が失敗続きな人が、厄年には結婚相手に出会ったり、結婚したりするという話もよく聞くものだ。

中にはそれまで不妊治療を散々やってきたのにダメだったところ、その年になって奇跡的に妊娠。
おめでた話に花が咲くような女性だっていたりする。

こういう事実をネット上などでみたりすると、本当に「幸運な期間」と「不運な期間」の周期は人それぞれ。
誰も推測できないのではないだろうか?

だとすれば、こういう昔から決められている年齢のみをあげつらって、その期間だけに気を配るのが正しいとは絶対に言えない。

気を抜かず、常に注意すべき時はする、警戒しておくものはしておくこと。

身体検査や車の運転など、いつでもしっかり注意しておくことだ。
毘沙門天

【4】お参りやお祓いで気が済むんだったらそれもアリ!

ただ、それでもこういう厄年には「必ず何かある!」と思ってしまって、それが自分でもどうしようもない、やまない人というのは絶対にいるものだ。

そういう人たちに特にお伝えしておきたいけれど、
貴女の気が済む、それで安心できるのならばお参りやお祓いも受ける価値あり
ということ。

災難続きが厄年に集中するという現象は、そういうわけで必然的な根拠の積み重ね、そして本人の思い込みによるものだ。

その思い込みの部分は心の問題でもあるので、ちょっとやそっとではどうにも解決できないことも多い。

そういうとき、変に心配しすぎるとやがて気持ちがそういう災難続きに感じさせたり、ちょっとしたイヤな出来事でも「あ、やっぱりだ」みたいにして、大げさに捉えてしまうことになる。

そうして余計に「心を不幸にしてしまう」事だって考えられる。

もしも自分にそういう気持ちの弱さがあって拭いきれないようだったら、お参りやお祓いを受けるのもアリだろう。

それで心の持ち方を明るくして安心できるワケだ。

【5】信じない人たちに囲まれて過ごす

厄年は気持ちの持ち方が大きいことはこれまで説明してきたとおりだ。

だとすれば、そういう貴女の気持ちを一番振り払い、全然気にしなくなれば良い。
そのために一番手っ取り早いのは、そういう人たちの中に入って過ごす時間を多く持つこと。

心配になりやすい人というのは、結局そういう昔からの習慣行為や言い伝え、あるいは迷信に振り回されやすい。

ということは、“朱に交われば赤くなる”というわけで、全然信じない人たちが大多数になる、その中でなるべく過ごすようにすれば良い意味で「振り回される」。

つまり貴女自身が回りの影響を受けて、気にしない、信じなくなってくるはずだ。

一番実行不可能かも知れないけれど、極端な例を言えば外国人の集団。
英語など何かの仕事やサークルで、そういう人たちに囲まれると良いチャンスだ。

そこまで極端に行かずとも、同じようにあまりそういう迷信を信じないような人たちの集団も探せばあるにちがいない。
そういう人たちと積極的に交流すると良いだろう。

ネガティブな気持ちの有り様こそが一番の問題に

最後になるけれど、気にし出すときりがないのがこういう昔からの習慣行為とか言い伝えになる。

そしてよくよく私も自分の周囲の人たちを見て気づくのだが、すごく気にする人ほどいろいろと物事をネガティブに見ている人が多くはないか?

そういう種類の典型的な人、友人が私にはいる。

中にはこちらが何かの困りごとに対して提案しても、
「そんなのはイヤ」
「私は好きじゃない」
「やったってたかがしれているよ」
「ばかばかしいからもうこの話よそう」
みたいに、逆にこちらがうっとうしくなる反応ばかりしてくる人がいる。

でもそんなことを言い続けていると、いつの間にか周囲に人もいなくなる。
自分で不幸せを呼び込んでくるようなものではないだろうか?

そして結局その言葉がブーメランのように自分に返ってきて、自分の気持ちをネガティブにしてしまう。

そのために余計にこういう年回りとか縁起を気にしてしまう、とは私の知人の霊感質の人の意見だ。

現にというか、私の別な知人にはこういう年回りとか、自分についてさえ知らない女性がいたりするけれど、彼女はへっちゃらでそういう期間も世界を旅行していた。

それで別に何にも無い。

少しでもよいから、自分の気持ちを正しく持って、いつでもポジティブでいる事を願いたい。

(増渕夕子)

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